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方法論と現実の間にて創作することの難儀について。


オサーン1号である。

前回の団員が書いた日記にも通じることだが、
「意志表示」に限らず、「生き方」の問題として、
最近は非常に「生き難くなった」にゃーと思う。

みんなの間から、
「さりげなく」という言葉が消えていくような
気がしている。

つまり、「さりげない」という表現の方法自体、
「理解されない」ような精神的土壌が確立しつつ
あるように思うのだ。

かつて、神戸に「さりげなく」という名前の
JAZZ喫茶があったように、
テレビドラマの演出表現から
「さりげなさ」が淘汰されて行ったように、

この日本から、「さりげなく」が消えて行く。

舞台表現というのは、実は、
これを苦手とする。
「物理的」に「さりげなく」見せる、ということが
理にかなっていない。

例えば「視線の機微」で見せるだの、
囁くだの、指先の動きだの、
そんな「細かい」表現には原則として
不向きである。

とすると、いきおい「分りやすく」、
「あからさまな」表現にならざるを得ず、
時に「大げさ」になりがちだったりする。

ところが昨今のテレビドラマや、映画ですら
この方法論そのままを「映像」の中で平気で
やっている。
裏返せば、

「無神経」な演出が跋扈しているのが現実である。

受け手は、今やそんな表現に
完全に慣らされて、
「さりげなく」なんて忘却の彼方に
置いてきてしまったのだ。

その価値観は生活の中にも浸透して、
「さりげない」の奥ゆかしさなんかとても
理解できず、もっとスピーディに、もっと
分りやすく、が「基準」となった。

わたしは、「善意」を「行動」する時に、
「一抹の恥かしさ」を持って「躊躇する」、

そんな人をとても愛らしく思うのだ。


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コメント

オサーン1号さんのブログは深くて重くてコメントしずらいや、、、

でも、ここは知的さを出すために意地を張って、

「 いやぁ~~、ボクもそう思ってたんですよ~ 」



何事でも、「さりげなく」出来るというのは、とても魅力的に感じます。

裏をかえせば、そこには、さりげなくみせるための、周りにきづかれない努力があるのかもしれません。

そんな、努力の仕方ができるようになれば、素敵だなぁ~!!

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